ですから、我々が弟子入りしたとき、一番最初にU先生が、「待つという修業、これが大切なのよ。
お正月にも松が立っているでしょう。
あれは何かわかる春を待つという意味なのよ。
そしてそれは神様をじっくりと待つということ。
角松には本当はそんな大きな意味があるのです。
これが修業の一番大事なところなんですよ」。
とおっしゃったのです。
その意味は、それだけ聞いても最初はわかりません。
「何だろう。
待つ修業」禅の修業でも何でも庭掃除だけを五年間やったり、六年、七年、八年やってやっとわかったときにぱっと次にいくように、じっくりと時間をかけるのと同じ意味です。
今回の説明でおわかりでしょうか。
私の曲に「へのへのもへじ」という曲がありますが、当時十万枚ほど売れました。
が、ほんとうは三百万枚は売れるだろうと言われていたのです。
作詩はワールドメイトのスタッフのOさんです。
彼と私はずいぶん長いつき合いで、彼が十九、私が二十歳、どつかの歌にありましたけど。
あれは「あなたが二十、私が十九の春だったわよね」だっそんなことはどうでもいいのですが、その彼とコンビで約二千曲もの作品を作りました。
彼は『悪因縁を切る」という本を出していますので興味のある方は読んでみてください。
というのも、以前「およげたいやきくん」という曲が大ヒットしたことがありましたが、あの曲は、私と一緒にコンビでやっていた作詩家のTひろおさんが書き、フ日ンテレビの「ひらけポンキッキ」という番組で流れて大ヒットしたのです。
四百万枚アニメその次の曲として「へのへのもへじ」が予定され、漫画もできて、もう流れることになっており、私は二十二歳で一気にブワーッと、K真人さんの「およげたいやきくん」に続いて、世に出てしまうところだったのです。
全国、全マスコミに「およげたいやきくん」の次の曲として番組を注目され、漫画もコマーシャルも全部できて、大ヒット間違いなしと太鼓判をおされていました。
ところが「へのへのもへじ」の放送二十日くらい前に突然いろいろもめ事が起ったのです。
事務所絡みで、著作権の問題や権利問題etc。
芸能界の裏は実はあまりきれいなところではありません。
売れるとわかると飛びついてきますから、私もレコード会社七社から引っ張りだこになって、もめて大変なことになってしまいました。
現在七つのレコード会社から引っ張りだこになるような歌手がいると思いますヨットいないでしょう。
どこか一社でも拾ってくれたらいいと思っているくらい。
ところが私の場合、七つのレコード会社から引っ張りだこ。
コ一百万枚売れそうな曲があったのですから。
そのときにもし売れていたら、作曲家や歌手として本格的に世に出ていたでしょう。
チしかし最初のインパクトが強いですから、全国から「へのへのもへじのお兄ちやんだ」と言われるのがおちです。
そうして一生、私はその負い目を受けてコミックソングや幼児の曲しか仕事が回ってこなかったかも知れない。
ところが私は非常に幸運なことに、それがもめてだめになったのです。
やはり神様が守ってくださったのでしょう。
だめになったその日に曲を」「Kに持っていくと「ああ、うちがやりましょう」ということで、」「Kでかかるようになりました。
それで十万枚チヨットのヒットで終わってしまったのですが、今から思うと本当に売れなくてよかったと思います。
絶対、早く世に出ないほうよかったので、O氏も私も非常に喜んでいます。
社長の名アドバイス「へのへのもへじ」の曲で大チャンスを逃がした直後に、あるレコード会社の社長にその件を話したとき、いいお話を聞きました。
(この社長、たくさんのヒットをとばしている会社の社長です。
もちろん売れなかった曲もたくさんあったでしょうが)。
「西谷君、君のへのへのもへじはたしかにおしいところでチャンスを逃した。
でも、それは運が悪かったんじゃないんだよ。
それが実力というものだ。
売れるのも実力、売れないのも実力、チャンスをつかむのも実力、逃すのも実力なんだよ。
十万枚売れたんなら立派なもんだ。
三百万枚とはいかなくとも、十万枚売る実力が君にはあるんだよ。
ちゃんと実力にふさわしいところに結局納まるんだね。
実力をつければ必ずうまくいくもんだ。
君もこれからまたガンバリなさい」この時の言葉は、当時から十四年たった今でもはっきり憶えています。
きっとあれは私の守護霊が社長にかかり、社長の口をとおして語ってくれた教訓だったのでしょう。
私は中学一年の十二歳から作曲家になろうと決めて、ちょうど十年後の二十二歳で新宿音楽祭で賞を取ったのですが、その間毎日作曲しました。
高校時代も学校をサボって作曲していたのです。
その陰業時代があるので自分でもある程度余裕がありました。
いつかは賞が取れるなというぐらいの余裕を持っていました。
つまり根っこがある程度できていたわけです。
しかし長い人生で見ると、そのとき(二十二歳のとき)に世に出なくてよかったと思います。
作曲も今ではあまりやる時間がありません。
それにF先生から「西谷さんの今世の天命は作曲じゃない。
前世作曲家だったんだから、今世はもっと別の才能をドンドン磨くべきだ」とも言われているので、程々にしています。
それで神霊研究家のほうとしては、ちょうど二十一歳の誕生日を契機に、突然目覚めて人生が一変したのです。
そして今に至っているのです。
私の区切りというのは三十二歳のときで、そこで春になったのでしょう。
ちょうど三十二のときに『的中手相術入門』や「大想念」を著し、二冊とも十万部以上のベストセラーになり、そうして春の時期に入ってしまったのです。
ですから十年単位で動いています。
二十一から三十一が冬。
三十二から次は四十一までが春というぐあいに来てしまっているのです。
自然の法則を知ってから、私はちょっとこれはいかんと思いました。
早く春になりすぎました。
それでもう既に春になっていながら、何とか春を遅らせる方法はないか、何とかもう一回冬に戻らないかなどと考えていたわけです。
このままでいけばピークが四十五歳げ私の場合、今のまま行くと、二十一歳から始めた宗教家のほうは三十一歳で一区切り。
次は三十二歳から四十一歳。
すると、夏の時期が四十二歳から五十一歳くらいまでになります。
これはちょっといかんなと私がひそかに思っていると、F先生はすごい超能力者ですから、ある日「西谷さん、今のままいくと西谷さんのピークは四十五歳だね」と、突然おっしゃったのです。
要するに神様が私の未来を見せてくださったらしいのです。
「西谷さんのピークは四十五歳になる」。
今から十年後か九年後です。
ですが、うまくやれば四十六歳以降が最高運になる。
そういう方法があると、神様がF先生をとおしておっしゃったので、私はいろいろ考えました。
春に入ってしまった自分を何とか引き戻すにはどうしたらいいか。
それで今、戒めていることは、しばらく妻を持たないこと。
(これはずっとじゃないですよ)それから車を持たない。
免許は取りましたが車は買っていません。
そして、住まいを持たない。
私はずっとワールドメイトの中で寝泊まりしています。
ほかのメンバーは「ああ疲れた」と思ったら帰るところがある。
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